6月5日、23回目となる「森は海の恋人」運動の植樹祭が行われました。「森は海の恋人」運動は、気仙沼でカキの養殖業を営んでいる畠山重篤さんのライフワークであり、海のために、そこで暮らす生き物のために、そしてその恩恵を受けて生る人間のために、長年にわたり1歩ずつ積み重ねてきた活動です。
例年であれば、約500枚の大漁旗に囲まれて行われる植樹祭も、今年はわずか3枚の旗しか飾ることができず、いつも来場者のために用意しているホタテの炊き込みごはんも、今年は半分以下の数しか作ることができませんでした。
「今年はこんな状況ですから、開催をやめようと話していたんです。でも、これまで一緒にやってきた岩手県一関市室根町の第12区自治会の方々に『ぜひ復興のためにやりたい』と言っていただいて。段取りも向こうにお任せして、近所の人たちにも協力してもらいながら、何とか開催することができました」。こう話してくれたのは、畠山重篤さんの奥様であり、仕事の上でもパートナーの畠山さんを支え続けている寿子さんです。
高台にある自宅は、何とか津波の被害をまぬがれることができました。しかし、カキの養殖場は壊滅的な被害を受け、約70基あった養殖施設(いかだ)のほとんどが流されてしまったといいます。
こつこつと、手塩にかけて築き上げてきた養殖場が瞬く間に消えてしまった。震災直後は、やめるか、それとも続けるのか、畠山一家は悩み続けていたそうです。
「うちの家族は漁師しかやったことがないのだから、今さら勤め人になるのも無理。同じゼロからはじめるのなら、もう1度ここでやってみるかと。とりあえず木だけはあるから、まずはいかだを作ろうと、主人と息子たち3人でいかだを作り始めたんです」
そのうちに、いかだ作りを手伝ってくれるボランティアが1人増え、2人増え……彼らもまた津波で職場を流され、職を失ってしまった人たちです。
「いかだ作りを手伝ってくれる彼らには、日給を払うことにしています。とにかくみんなで頑張って、希望の灯りだけは消えないようにしたいですから。1人の力でゼロから立ち上がることは難しい。だから、みんなで今あるものを分け合って、生活をもう一度取り戻すことができるよう、力を合わせていきたいと思っています」
5月から作りはじめたいかだは、今は20基程度まで増やすことができたそうです。いかだに吊された何枚ものホタテの貝殻。そこに植え付けられたカキの小さな種に、畠山さんたちは復興への希望を託します。
「でも、まだ日常は戻ってないです。あの日から、いろんな人が家を出入りしているし、物もあちこちに置いたままだから、私が帳面をつける定位置が見つからなくて(笑)。以前は、いつも同じ場所でつけていたんですけどね。今は台所でつけたり、毎日つける場所が変わるから、なんだか落ち着かなくて」。
森に育まれ、海へと流れ込んだ養分が、きっとまた大きなカキを育ててくれる。いつも変わることなくそこにある森と海が、寿子さんや気仙沼に暮らす人々の再出発を必ず後押ししてくれるはずです。
IBEでは、被災地で暮らすπの仲間たちを励ますメッセージを募っています。メッセージは、私たちが責任を持って被災者の方へお届けします。私たちに今できること。ぜひ、皆さんの心を込めた「言葉」と「思い」をこちらまでお寄せください。ファックス(0563-62-5859)でもたくさんのメッセージ、お待ちしております。