相馬市原町区は、福島第一原発から20〜30キロの距離にある町です。震災以降、高橋さんはこの町から、人々の声を、今の暮らしを、全国の人たちに発信し続けています。高橋さんは言います。
「町の見た目は何ともないんです。でも、敷地の中にも、放射能の高いところと、低いところがある。そして、それは目で見ることはできません。この町では、安全とか、安心とか、断定できる根拠がひとつもない。果たして『ここ』は安全なのか、それとも危険なのか、どちらとも言えない状況が、みんなの大きなストレスになっています」。
小さな子どもを持つ家族の中には、戻りたくても、戻っていいものかどうか、決めかねている人も少なくありません。また、子どものためには、この町を出て行ったほうがいいのかどうか、悩んでいる家族も多いと言います。
「震災から1年以上が経ち、物事が落ち着いてくればくるほど、さまざまなことが複雑になってきています。原子力に賛成か反対かではなく、放射能によって生活が奪われている。その視点が議論の中からすっぽり抜け落ちているような気がしてなりません。そのことこそが、一番訴えなければならない問題だと思っています。」(高橋さん)。
今、高橋さんをはじめ地域の若者たちで取り組んでいるのが、子どもが安心して遊べる外遊びの場の確保です。「子どもたちが、外で思いきり遊べる環境をつくることが、この地域の再生の一歩になる」という考えから、夏休みに『手のひらに太陽を作戦』と名づけて、市の公園内に、自分たちで線量を測り、清掃活動をして、手作りの遊び場を作ったところ、期間中、延2000人を超える親子が冒険遊びを楽しみました。結果、この動きがある企業の目にとまり、支援を受け、子どもの遊具だけでなく大人のためのアスレチック遊具も設置され、11月には市に寄贈し、常設の新しい公園として存続することになっています。
「自由に空気が吸えない町のままでは、本当の復興なんてありえません。だから、自分たちができることを判断して、今、やれるだけのことをやろう。みんなでそう励まし合いながら、前へと進んでいくつもりです」(高橋さん)。
創業64年の北洋舎クリーニングの原点は、40年前、高橋さんのお母さんが40代で開いた「和服お手入れの店・京都屋」に受け継がれています。店は今、高橋さんの妹の菅野幾代さんが継ぎ、その技術は、幾代さんの息子さんが継いでいます。
「津波で汚れた着物が運ばれてくることもあります。救えるもの、救えないものがありますが……たとえ着物として残せなくても、ベストなどの洋服に形を変えて残す方法もある。着物は、その人の歴史です。その歴史をちゃんと残していけるように。それほどお客様は来ませんが(笑)、この店だけは、特別な場所として残していきたいんです」(高橋さん)。
この町で暮らし、この町で生きてきた人の営みを、絶やすことなく繋いでいくために、高橋さんは、これからも、この町で生きていくことを決めています。
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