東北だより・夏でも紹介した「兄弟船」の漁師・兄の宮本茂春さんと弟の桑折武夫さん。この秋、兄弟はそれぞれの新しい生活を始めています。
弟の桑折武夫さんは今、仮設住宅で暮らしています。妻の澄子さん、そして澄子さんの母親であるトミイさんの3人暮らし。武夫さんは、がれき回収のために海に出ることもあれば、放射能検査のためのサンプル収集用に魚を獲ることもあるなど、本格的な漁はまだできないものの、兄の茂春さんと一緒に鹿島沖に出掛けていく毎日を送っています。
津波で家も船も流されてしまった桑折さん一家。今年で83歳になるトミイさんも、大切なものが流されてしまったといいます。それは「日記」です。
「15歳の時から毎日欠かさずにつけていた日記を、全部流されてしまった。もう何十冊にもなっていたんだけど。誰にも見せたことはないよ。何が書いてあるのかは、わたしだけの秘密。死んだとき一緒に棺桶に入れてくれと頼んでいたんだけどね」
10代の半ば、東京・赤羽の軍事工場で働き、兵隊さんの軍服を作っていた時のこと。18歳で南相馬に帰ってきた時のこと。結婚のこと。子育てのこと……日記にはトミイさんの毎日の出来事と、その思いが綴られていました。苦しい時も、つらい時も懸命に生きてきた、その1日を忘れることのないように。
「津波で家も何かもが流されてしまったけれど、生きていればいいことある」。トミイさんは、震災以降も小さなメモ帳に日記を書き続けています。「今日でちょうど地震から187日目だな」。そこには震災からの日々が綴られています。
仮設住宅に移り住んでからも、トミイさんは必ず毎朝5時に起きて散歩をしています。10年前から健康維持のためにやっている「爪もみ(足の爪を揉む)」「足裏のツボ押し」も忘れずにやるようにしています。毎週火曜日に仮設住宅のご近所さんが集まって開かれるお茶会にも、欠かさず参加しています。
今、一番やりたいこと。それは「松葉ひろい」だとトミイさんは言います。震災前、時間があれば、ほうきとちりとりを持って、海岸沿いの松から落ちる松葉を拾いに出掛けていたというトミイさん。松葉を集めて、天日干しにしたもので、風呂の湯を沸かしたり、船の焚き付けに使ったり。それは日記と同じです。松葉ひろいは、漁師の妻として生きてきた日々を刻んだ大切な記憶であり、記録なのかもしれません。
日記も流され、今は海岸にも近づけず、それでもトミイさんは力強く毎日のリズムを刻んでいます。「生きていればいいことある」。震災前のようにはいかないかもしれない。でも、自分にできること、やれることを、今日もきっちりとやっていく。
「仮設住宅に来てから、43キロの体重が44キロになった。1キロ増えちゃったよ(笑)」と笑うトミイさん。積み重ねてきた人生を、必死に刻んできた人生のリズムを、ここで途切らせるわけにはいかない。小さなメモ帳いっぱいに今日という1日を、トミイさんは記し続けます。
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