3月12日、13日、14日。震災発生直後の3日間で町の景色は一変してしまったと、高橋美加子さんは言います。3日続けて起こった原子力発電所の爆発事故。原町区は原発から20〜30キロ圏内にある町です。
震災直後の様子を高橋さんはこう話します。「銀行のATMも停止し、すべてのお店が営業を止めてしまった。ガソリンも手に入らないため、車で遠くに行くこともできない。生きていくための食料品がまったく手に入らない…という状況でした」。
高橋さんは、南相馬市で「北洋舎クリーニング」を営んでいます。父の代から63年。「着る人の心まできれいにする」を経営理念に、長女である高橋さんを先頭に、姉妹3人で力を合わせ、家業であるクリーニング店の規模を拡大してきました。
仙台に住む娘の家に避難し、この原町区に戻ってきたのは3月23日のことです。ほとんど人気(ひとけ)がなくなってしまったこの町で、再びクリーニング店を営業することにしたのです。
「今も、この町に戻りたくても戻れない状況が続いています。私にも孫が4人いますが、この町に来ることはできません。このままでは故郷がなくなってしまいます。自分が町に残ることが、故郷を守ることにつながるならと、店を開くことにしたのです」。
盛んな産業があるわけでもなければ、際立った特徴もない小さな町。原発事故後は、水も、新聞も、郵便物も、届けられることはありませんでした。「このままでは消される」。高橋さんはそう思ったといいます。
「ここは、消そうと思えば、簡単に消せる地域です。多くの人にとっては、この町が消えても何も困らないかもしれません。でも、私たちとっては二つとない故郷です。故郷が消えてしまわないように、声を上げ続けること。この町の現状を一人でも多くの人に知ってもらうこと。これが今、私ができる唯一のことだと思っています」。
クリーニング店を再開したかたわらで、高橋さんは自身のホームページを立ち上げ、町の現状を世の中へ発信し続けています。また、故郷を守りたいと志を同じくする若者たちと「ありがとうからはじめよう!つながろう南相馬!」と書かれた幟(のぼり)を作成し、商店街などの町のあちこちに掲げてもらう活動もスタートさせました。その他にも、多くの人の協力を仰ぎながらイベントやコンサートを開催するなど、この町の存在を、故郷はしっかりここにあるというメッセージを、高橋さんは小さな町から今日も投げ掛けています。
普段の夏なら、どの家庭も帰省した子どもたちや孫たちで賑わっています。でも、今年の夏は、少しだけ寂しい夏になってしまいました。「起きてしまったことを騒いでも、放射能で汚染されたという現実を変えることはできません。しかし、今何ができるのか。これから何が必要なのか。どうしたら子どもたちの笑顔を取り戻せるのか?私は、この町で必死に考えていきたい」。来年の夏には、賑やかな声が町に戻ることを信じて。