猪﨑さんは、アイビーイー・テクノの東北販売代理店として活躍しています。震災当日もお客様のところで営業の真っ最中だったと言います。
震災の翌朝、猪﨑さんは着の身着のままで、断水が続く仙台市内を駆け回りました。車のトランクに積み込んだのは、自宅にあったペットボトル6ケース分。「水がなければ薬も飲めません。ですから高齢のお客様に一刻も早く水を届けなければと、ヒゲも剃らずに車に乗り込みました」。
「少なくてごめんね」と声を掛けながら、一人のお年寄りにペットボトルを2本ずつ手渡していく。猪﨑さんの東北復興への一歩は、こうして水を配って歩くことから始まりました。
あの日から4ヵ月。東北にも夏がやってきました。この間、猪﨑さんも数多くの悲しい報せを耳にしたと言います。大津波で家が流された。いまだに行方不明で見つからない。職場が跡形もなく消えてしまった……猪﨑さんの身内も不幸に見舞われました。岩手県の陸前高田市に住む娘の嫁ぎ先のご両親が大津波で亡くなったのです。
「あまりにも行方不明者が多く、葬儀は合同慰霊祭という形になりました。参列できるのはひと家族2名まで。娘も、孫も、私たちも、葬儀に参列できませんでした。最後のお別れの言葉を言うことさえできず、気持ちの踏ん切りがつけられないままでいる人が、東北にはたくさんいると思います。こんなに悲しいことはありません」。
猪﨑さんは、震災を機に大好きだったタバコを断つ決心をしました。「2人の孫たちが成人するまで死んでいられません。孫はまだ小学4年生と幼稚園の年長さんです。岩手のご両親の分まで長生きして、孫たちの成長を見届ける役目が自分にはある」。
この夏、猪﨑さんには大仕事が待ち受けています。岩手県に住むおじいちゃんとおばあちゃんが津波で流されたことを、孫たちはまだ知りません。
「一緒にキャンプに行って、星空を見ながら話そうと思っているんです。岩手のおじいちゃんとおばあちゃんに何が起きたのか。そのことをどう受け止めるのか。孫たちに残されたおじいちゃんは、もう私だけです。私たち家族に起きた出来事を、ちゃんと孫たちに伝えることが私の役割だと思っています」。
『あとを頼みます』。そのひとことをさえ言うことができず、この世を後にした岩手のご両親。夏の星空にその面影を写しながら、猪﨑さんは孫たちの肩を引き寄せ、生き残った自分たちが歩むべきこれからの道のりを、語り始めるはずです。